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野球と私(最終回) 一人は、河端龍君と同期生の藤野将平君(西城陽高校→佛教大学;投手<右投右打>)です。彼は、西城陽高校が夏の甲子園に出場した際、河端と二人で投げ抜き、京都大会では、ホームランを打つなど打撃でも活躍した選手です。仏教大学進学後は、京滋大学野球リーグの最多勝(歴代1位)の38勝を挙げた投手です。大学選手権でも活躍しました。僕の出身の京都教育大学も同じ京滋大学野球リーグの1部ですので、大学の先輩から、「お前は、敵の学校にばかりいい選手を送って・・・。」とよく小言を言われたものです。 二人目は、河端・藤野の1年先輩、山田知也君(西城陽高校→一浪→京都教育大学)です。彼は、高校時代、元々内野手だったんですが、チーム事情で捕手になりました。3年時は、主将として、チーム京都府ベスト4の活躍を見せました。大学でも野球部に入部、僕の後輩になりました。そして、4回生の時は、やはり主将(捕手)として、藤野投手のいる佛教大学を破り大学選手権に出場、国立大学として初の全国ベスト4<神宮大会では、筑波大学の優勝がある>の大活躍の原動力になりました。その後は、先輩から「円山、もっと山田はおらんか。」と言われたものです。現在、僕と同じ府立の、綾部高校の野球部監督(教員)をしています。教員としても野球部監督としても、僕の跡継ぎにほしい人材です。 三人目は、プロ番外編です。檜作(ひづくり)英太君(西城陽高校→専門学校→ダイエーホークス)です。彼は昨年日本一のダイエーホークス1軍のトレーナーをしています。高校時代は、投手だったんですが、主戦ではありませんでした。しかし、野球が大好きだったのです。 四人目は、橋本健太郎君(久御山高校→東北福祉大学→日本新薬<京都>:投手<右投右打>)です。彼は、192cmの長身から150kmのスピードボールを投げ、あの東北福祉大学でエースとして活躍、現在社会人野球日本新薬で活躍しています。昨年も京都アマチュア王座決定戦(対立命館大学戦)で活躍、最優秀選手に選ばれました。マリナーズの大魔神佐々木投手などからも後輩として可愛がられている選手です。その彼が、久御山高校に進学した訳が、面白いのです。彼のお姉さんは、西城陽高校のOGです。そのお姉さんから、僕のことを聞いて「鬼のような怖い監督はいやや。」と言う理由で、一つ隣の久御山高校で野球することにしたのです。そうしたら、2年生になる時、その鬼のような監督が転勤して来てしまったのです。
最後に
あるOBの結婚式での誓いの言葉を添えて、野球と私を終了したいと思います。 |