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小学校4年生の時、芳田小学校に転校し、難波君や熱田君に当新田団地の空き地でやるソフトボールに誘ってもらい、帰りにメンバー確保のために友達が言った
「円山君なかなかうまいね。」の一言で、今思えば本当は下手だったのに、 当時子供でしたから「自分はうまいんだ。」と勘違いし、それから毎日、
ソフトボールに出かけたのを昨日のことのように思い出します。 そして、中学校でも野球部に所属することになったのでした。
中学校では、岸本先生のおかげで、初の県大会出場を田辺投手(彼は岡山南に進学、 公式戦で岡山県で初の完全試合を達成!さらに大阪経済大学でも投手として活躍、 何度もベストナインに輝いています。)や亀山捕手・塩野遊撃手・原田外野手と ともに達成できました。野球しかしていない中学校時代でした。 でも山田先生や岸本先生のように教師になりたいとはっきり目標を決めたのも 中学校時代でした。 操山高校でも、田辺投手のようにはいきませんでしたが、10年振りに ベスト8になって、先輩たちに褒めてもらえたのはうれしかったです。 もちろん、大学(京都教育大学という教育学部しかない単科大学: 学科は特修体育学科)でも野球部でした。
ちょっと、横道にそれて、築岡君の話です。大学の寮に住んでいた僕のところへ 「おい円山、今日泊めてくれ。」と突然、築岡君が現れたのでした。
僕は、わざわざ来てくれたのかと大喜びしたのですが、挨拶もそこそこに、 すぐ出かけていくのです。「?・・・」。
よく聞いてみると、実は僕と同じ大学に来ていた彼女のところに来たのでした。
でも、尋ねてきてくれたことが、嬉しかったことを覚えています。 |