野球と私A

大学を卒業して教員になろうと思ったんですが、 岡山に採用がない時代でしたので、京都の宇治市にある私立宇治高校 (現在の立命館宇治高校;きっと来春には全国選抜高校野球に出場する。)に 保健体育科の教諭として就職(8年)、公立高校に移り京都府立西城陽高校 (新設校で開校から14年)、そして、現在の京都府立久御山高校(7年目)に 勤務しています。

教員になっても、ほとんど硬式野球部の監督をさせてもらっています。 良い教え子に恵まれ、夏の甲子園に二度(S54年宇治高校;H6年西城陽高校)、 近畿大会にも二度、29年間の教員生活で、年間三度の公式戦で一度も府ベスト8 になれなかったのは、宇治高校の1年目と西城陽高校の開校1年目の2回、 そして久御山高校でのH11〜14年の4回
<一応この4回もベスト16には 入っていますが、久御山ではちょっと調子悪いです>の計6回で、 あと23回はそれ以上の成績をあげることができました。 倉敷商業の長谷川登監督が、立命館大学4回生(主将)の時、僕は2回生で 試合で対戦したこともあり、岡山県にも倉敷商業をメインによく遠征に来ます。 ついでに母校操山高校とも、日程があえば、試合をしています。

結婚は、大学の後輩(やはり、教員をしています。)とS53年に、 長男(24歳)・次男(20歳)・長女(20歳)・次女(14歳)と 二男二女と授かりました。貧乏人の何とかです・・・。

また、ちょっと横道にそれて、和田 晋君の話です。 就職して4〜5年目のことでしたが、やはりある日突然和田君から電話です。 「おい円山、今奈良に来とるんやけど、会いに来い。」との電話でした。 小学校の教諭である和田君は、修学旅行で京都から奈良に生徒引率で 来ていたのです。僕の家は宇治市ですので、京都市内まで40〜50分、 奈良市内までも当時は50〜60分ぐらいかかる中間地点にあるのですが、 よりによって時間のかかる方に呼び出すところが、和田君らしいです。 車を飛ばして、興福寺の近く猿沢の池の側の旅館に駆けつけました。 時間があって外出でき、少しゆっくりできるのかと思っていたら、生徒を 指導しながら旅館の玄関で少し話をして、「じゃこれから会議じゃけ」と それでおしまい。あくまで真面目な仕事振り(?)の和田君でありました。でもとても 嬉しかったのを覚えています。

平成16年新春1月1日に、ベースボール倶楽部<下記>に、地元宇治市の 小さな新聞に掲載されるものと同じ、僕の対談記事が掲載されることに なっています。興味のある方は、お読みください。
http://baseballclub.web.infoseek.co.jp/interview8-1.htm