B
中学校時代に一番印象に残っている先輩は、野球部の目黒さん(3年)です。 我々の同級生、目黒昌江さんのお兄さんです。
1年生の時、55人入部した野球部員の中で、田辺君(背番号14) と僕(背番号15)だけがベンチ入りさせてもらっていました。
ある日の練習試合で、セカンドの岡崎さん(3年)が腹痛で出場 できなくなり、僕はサードが本職でしたが、セカンドで試合に出してもらえる ことになりました。もう試合に勝ったか、何回の出来事かなど 忘れてしまいましたが、二遊間、セカンドベース上をセンター前に 抜けそうな痛烈なゴロが飛んだのです。 チビで打撃は大したことはない僕でしたが、守備にはある程度自信を 持っていたので、そのボールを捕ろうと飛び込みました。 その時、遊撃手だった目黒さんも同時に飛び込んだのでした。 その結果、僕と目黒さんは、シコタマ頭をぶつけ、ボールは僕のグラブに 半分入ったが、ぶつかったためセンター方向に1mほど転がりました。 僕はといえば、あまりの痛さにその場に、そのままじっとしていましたが、 目黒さんは、痛いはずなのに這って、まだそのボールを追いかけていきました。 僕の目の先にその光景が見え、「この人の執念はすごい。すごい人やな。」と 思うとともに、野球とはこうやって取り組むものなんだと強烈な印象を持ち、 その後のプレーに大変役立ったのです。 高校野球の指導をしていていろんなことがありますが、西城陽高校の監督時代 京都の名門大谷高校と練習試合をしていた時の話ですが、大谷高校の グラウンドはライトが少し狭く木が生えてたりしているのですが、 ライトで出場している選手がボールを捕球する際、帽子が脱げてさらに 後方にそらしてしましました。その選手は、とっさにまず帽子を拾い、 それからボールを追いかけました。(もちろん自分では、意識してなかった) プレーが一段落して、僕はタイムをかけ、ライト交代を告げ、 「何故交代か分かっているか。」と聞きました。選手はキョトンとしたままです。 その後のミーティングで、何が優先か、どういう意識で野球に取り組むかに ついて「目黒先輩の話」をしたことは、言うまでもありません。 当時の京都の公立高校は、岡山県と違って小学区制ですから、その地域の子は その地域の学校にしかいけませんでした。取り組む意識の低い選手も多いのです。 そんな学校も、その後甲子園出場を果たしたのです。 すべて、目黒先輩が、あの時見せてくれたプレーのお陰です。 |