目黒先輩の思い出は、尽きません。
ある日キャッチボールの相手を目黒先輩がしてくれていました。
厳しい人なのと光栄なのとで、緊張しまくっていた1年生の僕は、1球投げる ごとに暴投を投げ、その都度「すいません。」と謝り、先輩より早くボールを
拾いにいく、まるで一人でキャッチボールをしているような状況でした。 あまり同じことをし、何回も「すいません。」と僕が謝るので、
「『すいません。すいません。』というな。」と言われたのですが、 僕は思わず「すいません。」と謝ってポカリと一発やられました。
すぐに自分の言葉に気付き思わず自分で「アッ」と思い、心の中で「アハハ」と 笑いまで起こりました。
次から暴投を投げても取りにはいきましたが、もちろん「すいません。」とは 二度と言いませんでしたし、実際暴投も減りました。
暴投ばかり投げてる僕の相手を嫌がりもせずしてくれ、なぜか期待されている ことを感じさせられ、さらに言葉の大切さや自分の心理的状況について
気付かせてくれたのも先輩でした。 その日以来、ほとんど暴投をしなくなりました。
練習では厳しかったけれども、練習後はジュースやラーメンなどをよく奢って もらったのを覚えています。
卒業後、目黒先輩は、その当時平松投手(後に大洋ホエールズ投手として
プロ野球名球会入りした)を擁して春の甲子園で全国優勝した野球の名門 岡山東商業に進学されました。
我々後輩は、目黒先輩から、岡山東商業の野球部の基本的な指導方針を伝達して もらいました。
たとえば、1 素直であれ。
2 練習につぐ練習。
3 礼儀正しくあれ。
4 責任を完了せよ。
5 健康に注意せよ。
の部訓などであり、宇治高校・西城陽高校・久御山高校でもまったく同じものを、
部の努力目標として掲げて指導しています。
前述のように実際の練習でも大変世話になりましたが、卒業後は、特によく
ノックをしてもらいました。特にノーエラーノックが好きでよく実施されました。 不思議なことに、野球のノック(英語ではファンゴーという)はなぜか、内野の
サードから始まるのです。その時、僕はサードの1番前にいましたから、ノックは
僕から始まるのです。遊撃手は塩野君でした。彼は上手なんだけど、疲れてくると すぐポロとやる。そこで、僕に戻ってノックが再開される。全員がうまく捕球、
送球をこなせばすぐ終わるのですが、そこは中学生のこと、なかなか終わりません。 一時なんかは、セカンドやファーストは1本もノックを受けていないのに、
僕→塩野君→僕の繰り返しで1時間以上かかったこともありました。 その後、守備だけは、絶対の自信を持ってできるようになったのは、目黒さんと
塩野君のエラー(失礼)のお陰です。高校・大学・社会人の色々な場面で守備で
大活躍できたのは、すべてそのお陰だと大変感謝しています。