4人目のプロ野球選手は、河端龍君(西城陽高校→龍谷大学→ヤクルトスワローズ;投手<右投右打>)です。北野178cm、塚本185cm、田口182cmとみんな大柄な中、彼は、公の発表では身長174cm(実際には171cm?)のプロでは、小柄な選手です。ヤクルトスワローズの中継ぎ投手として、たとえば、ヤクルトが日本一になった時、日本シリーズの勝った4試合すべてに登板するといった活躍を見せてくれました。 174cmの彼が140km以上のスピードボールと機械のようなコントロールで、プロの世界で活躍しているのは、少し不思議な気もします。元々、彼は、南京都シニアリーグの出身なんですが、主力投手二人を擁して、全国大会でも活躍し、そのエース一人と野手の全員、計9人が、富山県に野球留学、河端君だけが、地元に残りました。そして、西城陽高校を甲子園へ導いたのでした。その地元に残った理由というのが、「方向音痴だから。」という面白い理由でした。西城陽高校が甲子園に出場した年の富山県の決勝戦は、両チーム20点以上を取り合う乱打戦で、先の9名が野球留学した高校は決勝で負け、甲子園にはいけませんでした。河端君も一緒に行っておれば、甲子園に絶対行けており、逆に西城陽高校は、行けてなかったと思います。龍谷大学野球部でも大学選手権ベスト4の戦績を残して、ヤクルトに入団したのです。ヤクルトの若松監督をして勝利の方程式「先発→河端→高津」と言わしめた活躍は、前述の例の通りですが、小柄な彼が、マウンドで大きく見えるのは不思議なことです。その彼は、神宮球場での試合終了後、自宅の埼玉県戸田市まで帰るんですが、リュックを背中に背負い電車で帰る小柄な彼にファンのだれも気付かないというのは、ちょっと面白いですね。
掲示板を見ていると阪神ファンがたくさんいるようですね。その阪神ファンが悔しがって、そしてちょっと羨ましがる話をします。一昨年の11月の話ですが、京都の野球会の大先輩の勲章受賞パーティに招かれた時の話です。その方は、同志社大学野球部OBで、同大野球部の監督もしておられました。その教え子に日本生命の杉浦投手(全日本主将)や片岡選手(阪神タイガース)もいて、当然お祝いを述べておりました。その方とは、僕が大学の選手時代から個人的付き合いもあり、喜んで参加したんですが、500人強の参加者の中段くらいの席で、関西の大学や高校野球関係者と同席していました。パーティも中盤にさしかかった時、わざわざ僕のところへ、その片岡選手が挨拶に来てくれたのです。「はじめまして、僕は、君の出身の久御山町にある久御山高校の野球部の監督の円山です。」というと、「はい、よく存じています。こちらこそ、よろしくお願いします。」とビールをついでくれました。そばに立った彼は、僕(177cm)よりさらに、10cm以上長身で、がっしりしていました。なぜ、わざわざ来てくれたのかというと、一つには久御山が、彼の出身地であること。もう一つは、片岡選手も南京都シニアリーグ出身で、河端君の先輩であり、よく二人で僕の話をしてくれていたとのことでした。その謙虚な言葉や姿勢に、これから応援してあげようと思ったのです。注目して見ていた昨年はキャンプで故障、暗雲漂うスタートになりましたが、最後は、いいところで活躍、阪神の優勝に貢献しました。
昨年5月4日、友人から阪神・ヤクルト戦のチケットをもらい、野球部の練習を午前中(いつもは、午後の練習が多いのを変更して)で終了し、甲子園球場にかけつけました。自分の席へ行くまでに、教え子(久御山高校の卒業生)のご両親(応援グッズをもった熱烈な阪神ファンだった)が夫婦仲良く応援しているのに出会ったりし、うかうか野球も見に来れないなと思いながら、阪神ファンに囲まれて野球を観戦していました。甲子園でプロ野球を実際に見るのは、初めてだったのですが、ヤクルトファンは、レフトスタンドのコカコーラの看板のある付近の一部だけ、あとはすべて阪神ファンという異様な状態の中、その日は、前述の河端→高津の必勝リレーでヤクルトの勝ち。河端・高津と見たい選手が出てうれしい限りでした。片岡・河端の先輩・後輩対決も見たかったんですが、片岡選手は出場しませんでした。前述の阪神ファンのご両親に「先生よかったですね。」と言われて妙な気持ちで球場を 後にしたのでした。
昨年、長男梨太(りんた)君も生まれ、一児のパパになった河端君、ますます、頑張って活躍してほしいと願っています。現役ですので、見る機会があったら応援してやってください。