野球と私H

今回は、教え子達の自慢をしたいと思います。
まず、プロ野球に進んだ生徒達について、 僕の教え子でプロ第1号は、北野明仁君(宇治高校から読売巨人軍)です。彼が、高校に入学してきた初日の練習でのことです。宇治市営黄檗球場 (やや狭い野球場で両翼90m中堅110mしかない)での練習でした。 ウォーミングアップが終了して、キャッチボールの時のことです。 部長から「有望な投手が入学したので特に目をかけてやってくれ。」と 言われていたので、当時コーチだった僕は、彼とキャッチボールを始めました。 肩が温もり、だんだん遠投に移っていったのですが、大学を卒業してまだ2年目だったのと肩には自信のあった(遠投記録は120m)ので、ライナーでボールを ずっと投げて遠投を続けていったんですが、球場の端まで(90m離れても) 北野君もそのままずっと地面とほぼ平行のボールを投げて返してくるのです。もう一つ、エピソードです。彼が3年生になった時のこと、春季大会で相手投手の スピードボールが打てずに負けた次の日の練習です。当時、宇治高校には、もう ピッチングマシンがあったんですが、そのマシンを140km以上に合わせて 打撃練習を開始、他の選手が、マシンのボールの重さ(球威)やスピードに 次々に手を傷めてリタイヤする中、彼一人、平気で打ち続け、極めつけは、当時もう金属バットだったんですが、根もとで打ってその金属バットを折って しまったのです。多少金属疲労を起こしていたのかも知れませんが、後にも先にも ボールを打って、金属バットを折ったのを見たのは、彼だけです。 ただ、ただ、彼のパワーにあきれました。

高校時代はベスト8に終わりましたが、卒業後は、前述の通り、巨人に入団することになりました。春のキャンプ(宮崎県青島)に招待され、プロの練習を見学することもでき、良い勉強になったことも懐かしい思い出です。

彼の結婚式のことです。東京のホテルでの披露宴に恩師として招待され、前述の国松ヘッドコーチと久々の再開(向こうは覚えている訳はなかったですが)、 巨人の選手が、ほとんど揃っていて、さながらファン感謝デーの様相を呈していました。特に原選手(昨年までの巨人監督)は、やはり特別でした。ちょっと遅れてきて、さっそくスピーチでしたが、「華がある」選手というのは、こういう選手のことをいうのだとはっきり解りました。会場に入ってきたとたんに まわりが明るくなる感じがしました。新郎のお母さんや親戚の人までが、サインを くださいとサイン帳をもって駆け回っている不思議な結婚式でした。
<教訓:結婚式には、有名人を呼ばないこと。サイン会となってしまう>

その後、腰を故障して巨人の職員(打撃投手)になった北野君は、現在も巨人軍に 在籍して、打撃投手をしています。皆さんがよくご存知のところでは、今度中日の 監督になる落合選手の専属の打撃投手、次には昨年ニューヨークヤンキースで大活躍 した松井選手の専属の打撃投手などを務めていました。 落合選手は、三冠王を取ったほどの選手ですが、凄いのは自分の正面に投げてこられた (身体に向かってくる)ボールを投げた投手(正面)にうまく腕をたたみこんで 打ち返すことができるということです。練習嫌いがよく噂されているが、とんでもない数のバットスイングをするし、練習熱心であることなどを北野君に教えてもらいました。 人の見ていない所でやはりすごい努力をしている事実に感動したのを覚えています。